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条約明け以降の戦艦とはなんだったのか

 条約明け以降に建造された戦艦は、それ以前の戦艦とは大きく異なるものであった。それは、設計思想や武装、そして技術進歩等多くの要素において言えることである。

 多くの論評において、その代表たる大和型のみが「時代遅れ」とされ、他国の戦艦については触れられることが殆どない。だが、この評価はまったく正しくないのだ。そもそも、空母機動部隊による大規模海戦というものは、あの一時期のみに試行錯誤的に行われたものだったと言っても過言ではない。何故なら、空母やその航空部隊は非常に高価に過ぎるためであり、また水上艦側が長距離攻撃能力を得て、かつ機動力が向上し、さらに防空能力が向上したからである。フォークランドを見ても明らかのように、現代の海戦はたとえ空母が参加しようとも、水上戦闘艦が主体的な役割を占めている(ただし、正規空母を大量に保有するアメリカ海軍だけは状況が変わるかもしれないが)
 そう考えたとき、あの時代の戦艦は既に現代への萌芽が見られたといえるだろう。長距離攻撃能力に関しては戦後の対艦ミサイル時代を待たなければならなかったが、機動力に関しては各国の新鋭戦艦はみな(アイオワ級を除き)向上していた。ここで言う機動力は、必ずしも最高速度だけではない。常時発揮可能な高速性や、行動範囲の広さ、凌波性等さまざまな能力である(だからアイオワ除かれる)。また、空母部隊の高価さはWW2当時から問題視されていたし、防空能力の向上などは大和の最終型や信濃の当初案などを見れば、飛躍的向上の途上にあったといえるだろう。

 つまり、あの時期に太平洋戦争により、「空母の時代」という流行が作り出されたが故に戦艦は過去のものとなってしまったのだ。流行が去ったときには、既にミサイルの時代となっており、戦艦の復権はなされなかったが、もし戦艦の時代からミサイルの時代へとの緩やかな変化が起きていれば、ミサイルプラットフォームのひとつの形として存在しえただろう。戦艦はその巨大さ故に、莫大な予算を食う一方で復元性や搭載能力など多くの利点を保有しているのも事実だからだ(もっとも、「大砲」を主武器にする戦艦は廃れただろうが)。

 こうした認識に立ったとき、条約後型戦艦を見直してみるとさまざまなことを考えられるだろう。条約後型戦艦とは欧州戦艦の集大成リシュリュー級、そして太平洋の化け物たち、つまりアイオワ級、モンタナ級(未成)、大和型、改大和(信濃)型(未成)である。過渡期にあたるライオン(II)級(未成)、金剛代艦型(未成)は今回扱わない。また、サウスダコタは条約型なのだが、条約後型への橋渡し的な性格を持っていると考えていいだろう。この中で、巡洋戦艦たるアイオワ級や欧州型であるリシュリュー級は若干毛色が違うが、それにしてもこれらの艦には確固たる共通性があった。

 まず第一に、高速性である。既に高速な戦艦部隊を保有していた日本や、ダンケルク以降超高速戦艦部隊にシフトしていたフランスは少し状況が異なるとはいえ、過去の戦艦に比べ極めて優速であった。これは、機関技術が向上したという要因もあるが、もうひとつはポストユトランドの主力戦艦に求められた高速性の現われといえるだろう。
 第二に、防空能力の飛躍的向上が上げられる。特に、太平洋戦争開戦後世代などは、とんでもない量の対空砲を備えていた。こうした状況の艦に対し航空攻撃で戦果を挙げることはきわめて難しい。大和を見れば明らかなように、この世代の戦艦への航空攻撃は飽和攻撃以外の解が存在しないからだ。
 第三に、これもユトランドの教訓から、水平防御の充実があげられる。これは条約型でも見られたことだが、重量制限がなくなった条約明けにはその傾向がさらに強くなったといえるだろう。
 つまり、この世代の戦艦はそれまでの戦艦に出された課題の最終解だったと言える。実際、空母部隊の物量でアメリカが押し切ってしまったが故に艦隊決戦は生起しなかったが、あの当時ですら空母戦のあとで戦艦同士が殴りあうことは想定されていた。その中においてこれらの新世代の戦艦は空母部隊その他多くの水上艦部隊とともに行動可能で、戦艦以外のすべての水上艦艇に対し優勢を保てる最強の水上艦という意義が存在した(もっとも、日本軍だけはある意味この流れから外れていた。故に戦艦計画から急速に撤退していたのだが)。つまり、こうした戦艦の存在は敵空母部隊の隙を狙って巡洋艦や駆逐艦を突撃させるような戦術が生まれる余地を削いだし、また相手の戦艦戦力を自由に使わせないという戦略兵器としての意味が極めて大きかった。
 そして、その戦艦の競争において最良の解だったのが大和型、さらに言えばその改良型であったはずの信濃型(ほぼ最終改装後の大和である)であった。極めて優れた防空能力、安定して発揮可能な高速度(27〜28ノットは十分に高速である)、そして他のすべての戦艦に対し有効打を与えられる主砲と、他のすべての戦艦の主砲に対し安全距離をもてるだけの重防御と、非の打ち所がないとさえ言えるだろう。それは、質で量を補わざるを得なかった日本の苦肉の策であったし、結果論からいえば彼らがその真価を発揮することはなかったが、そうであっても、その大和への対抗として建造されたいかなる戦艦も大和に及ばなかったことを認識しなければならないだろう。




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軍事 | 11:03 | comments(3) | trackbacks(0)

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Comment
2009/12/05 1:54 PM, ( ゜∀。)さん 
>大和への対抗として建造されたいかなる戦艦も大和に及ばなかった
冶金技術や工業力がアレだったわりに日本の火砲製造技術って陸海とも意外と悪くないんだよね
徹甲弾の方は微妙だったけど
2009/12/06 9:24 PM, ぞえ 
所謂職人芸だろ
量産しなきゃいけないモノの質はアレでも、少数生産ならそれなりのものができるって言う。
設計能力>>>生産能力
こうなったのが日本だと思う
2016/03/15 3:20 AM, まぢだ 
戦艦の終焉はミサイルによってもたらされた。
全く同意です。
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