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条約明け以降の戦艦とはなんだったのか

 条約明け以降に建造された戦艦は、それ以前の戦艦とは大きく異なるものであった。それは、設計思想や武装、そして技術進歩等多くの要素において言えることである。

 多くの論評において、その代表たる大和型のみが「時代遅れ」とされ、他国の戦艦については触れられることが殆どない。だが、この評価はまったく正しくないのだ。そもそも、空母機動部隊による大規模海戦というものは、あの一時期のみに試行錯誤的に行われたものだったと言っても過言ではない。何故なら、空母やその航空部隊は非常に高価に過ぎるためであり、また水上艦側が長距離攻撃能力を得て、かつ機動力が向上し、さらに防空能力が向上したからである。フォークランドを見ても明らかのように、現代の海戦はたとえ空母が参加しようとも、水上戦闘艦が主体的な役割を占めている(ただし、正規空母を大量に保有するアメリカ海軍だけは状況が変わるかもしれないが)
 そう考えたとき、あの時代の戦艦は既に現代への萌芽が見られたといえるだろう。長距離攻撃能力に関しては戦後の対艦ミサイル時代を待たなければならなかったが、機動力に関しては各国の新鋭戦艦はみな(アイオワ級を除き)向上していた。ここで言う機動力は、必ずしも最高速度だけではない。常時発揮可能な高速性や、行動範囲の広さ、凌波性等さまざまな能力である(だからアイオワ除かれる)。また、空母部隊の高価さはWW2当時から問題視されていたし、防空能力の向上などは大和の最終型や信濃の当初案などを見れば、飛躍的向上の途上にあったといえるだろう。

 つまり、あの時期に太平洋戦争により、「空母の時代」という流行が作り出されたが故に戦艦は過去のものとなってしまったのだ。流行が去ったときには、既にミサイルの時代となっており、戦艦の復権はなされなかったが、もし戦艦の時代からミサイルの時代へとの緩やかな変化が起きていれば、ミサイルプラットフォームのひとつの形として存在しえただろう。戦艦はその巨大さ故に、莫大な予算を食う一方で復元性や搭載能力など多くの利点を保有しているのも事実だからだ(もっとも、「大砲」を主武器にする戦艦は廃れただろうが)。

 こうした認識に立ったとき、条約後型戦艦を見直してみるとさまざまなことを考えられるだろう。条約後型戦艦とは欧州戦艦の集大成リシュリュー級、そして太平洋の化け物たち、つまりアイオワ級、モンタナ級(未成)、大和型、改大和(信濃)型(未成)である。過渡期にあたるライオン(II)級(未成)、金剛代艦型(未成)は今回扱わない。また、サウスダコタは条約型なのだが、条約後型への橋渡し的な性格を持っていると考えていいだろう。この中で、巡洋戦艦たるアイオワ級や欧州型であるリシュリュー級は若干毛色が違うが、それにしてもこれらの艦には確固たる共通性があった。

 まず第一に、高速性である。既に高速な戦艦部隊を保有していた日本や、ダンケルク以降超高速戦艦部隊にシフトしていたフランスは少し状況が異なるとはいえ、過去の戦艦に比べ極めて優速であった。これは、機関技術が向上したという要因もあるが、もうひとつはポストユトランドの主力戦艦に求められた高速性の現われといえるだろう。
 第二に、防空能力の飛躍的向上が上げられる。特に、太平洋戦争開戦後世代などは、とんでもない量の対空砲を備えていた。こうした状況の艦に対し航空攻撃で戦果を挙げることはきわめて難しい。大和を見れば明らかなように、この世代の戦艦への航空攻撃は飽和攻撃以外の解が存在しないからだ。
 第三に、これもユトランドの教訓から、水平防御の充実があげられる。これは条約型でも見られたことだが、重量制限がなくなった条約明けにはその傾向がさらに強くなったといえるだろう。
 つまり、この世代の戦艦はそれまでの戦艦に出された課題の最終解だったと言える。実際、空母部隊の物量でアメリカが押し切ってしまったが故に艦隊決戦は生起しなかったが、あの当時ですら空母戦のあとで戦艦同士が殴りあうことは想定されていた。その中においてこれらの新世代の戦艦は空母部隊その他多くの水上艦部隊とともに行動可能で、戦艦以外のすべての水上艦艇に対し優勢を保てる最強の水上艦という意義が存在した(もっとも、日本軍だけはある意味この流れから外れていた。故に戦艦計画から急速に撤退していたのだが)。つまり、こうした戦艦の存在は敵空母部隊の隙を狙って巡洋艦や駆逐艦を突撃させるような戦術が生まれる余地を削いだし、また相手の戦艦戦力を自由に使わせないという戦略兵器としての意味が極めて大きかった。
 そして、その戦艦の競争において最良の解だったのが大和型、さらに言えばその改良型であったはずの信濃型(ほぼ最終改装後の大和である)であった。極めて優れた防空能力、安定して発揮可能な高速度(27〜28ノットは十分に高速である)、そして他のすべての戦艦に対し有効打を与えられる主砲と、他のすべての戦艦の主砲に対し安全距離をもてるだけの重防御と、非の打ち所がないとさえ言えるだろう。それは、質で量を補わざるを得なかった日本の苦肉の策であったし、結果論からいえば彼らがその真価を発揮することはなかったが、そうであっても、その大和への対抗として建造されたいかなる戦艦も大和に及ばなかったことを認識しなければならないだろう。




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軍事 | 11:03 | comments(3) | trackbacks(0)

大和への誤解をそのまま書くと・・・

 オブイェクトでも取り上げられてたけども、こういうデマを並べる連中がいるから困るんだ。
他人のブログにちょっかい出すのはあまりしないんだが、WW2戦艦スキーとして少し黙ってられなくなったので。

元記事

オブイェクト

とりあえず、主機その他の観点はあちらの方が詳細に書かれてるし、戦艦の用法その他について色々と。

1.ドイツポケット戦艦は無理やり通商戦を行うために作られた艦であり、純然たる艦隊決戦用に作られた戦艦と航続距離で比較することは適当ではない。

2.金剛型という超高速遊撃戦力を封じるために作られ、しかも大和の1年以上後に竣工した戦艦の「速度のみ」を取って大和型と比較することは適当ではない。
アメリカ海軍の運用思想や世代を考えて、大和と対抗すべきはサウスダコタ級なわけだが、こちらは最高速27.8ノット、常用できたのが25~6ノットとなっている。大和は常時27〜8ノットを発揮できたわけで、こちらの方が速度の点でも優れていたといえる。アメリカの戦艦は異常振動で運用制限していたアイオワ級にしろ、船体構造に難点のあったサウスダコタ級にしろ、スペックとして知られる最高速は実戦では使えなかったことに留意する必要がある。一方日本戦艦は「常時発揮可能な速度」が記されている傾向があるようだ。

3.アメリカ海軍が何重もの防御ラインを引けたのは、それを可能にするだけの海上戦力を整備できたからというその1点に集約される。決して、戦艦の速度が要因ではない。
というか、そもそもノースカロライナ・サウスダコタ・アイオワ体制に入るまではアメリカ海軍戦艦部隊の速度は21ノット程度と非常に低速で、一方日本は主力戦艦すべてが25ノット、巡洋戦艦部隊の金剛型は30ノットと超高速の戦艦戦力を保持していたことを認識しなければならないだろう。

4.海軍が艦隊決戦思想に基づいて戦艦を建造したことは時代遅れではない。
まず第一に、当時アメリカも日本も艦隊決戦を前提に戦力を整備していたこと。
第二に、大和以降に設計されていたアイオワ級・モンタナ級でさえも艦隊決戦思想に基づいていること。
第三に、日本海軍としては「艦隊決戦がもっとも効率的な戦争」と考えていたし、それは結果や当時の戦力から見れば妥当であった。
第四に、日本は当時の海軍列強の中でもっとも早く戦艦の建造計画を放棄していた。
イギリスがヴァンガードを竣工させ戦艦の歴史に幕を下ろしたのは46年8月のことだったし、アメリカがアイオワ級ケンタッキー建造中止を決定するには50年(!)1月を待たねばならなかった。フランスは敗戦の影響もあってジャンバールを竣工させたのが55年6月だし、陸軍国ソ連ですらソビエツキー・ソユーズ計画を放棄したのは47年だった。まあ、海軍に割けるリソースが小さかったドイツは41年8月にH級を放棄したし、イタリアは休戦した43年9月には計画を放棄せざるを得なくなっていたが。
一方、わが国は42年6月には信濃を空母に転用することを決定し、8月の武蔵竣工を持って戦艦計画を完全に放棄していた。これを見れば、当時の帝国海軍は時代遅れどころか、時代をしっかり先取りしていたと断言できるだろう。

5.帝国海軍には通商破壊戦という概念がなかったわけではない。ただ単に、「艦隊決戦をやるよりも遥かに高くつく」からあきらめざるを得なかったのだ。
現に、アメリカ海軍は日本に対し通商破壊戦を仕掛けるに至ったとき、とんでもない量の艦艇を保有していた。当時の世界1・2位の大海軍同士が大洋でにらみ合っているときに通商戦をやるなどという絵空事を実現するためには、それこそ太平洋を飽和できるほどの大戦力が必要だったのだ。

6.戦艦が空母の護衛をするという場合、その意義は水上艦に対しての牽制にある。
防空戦力でいえば駆逐艦のほうが遥かにコストパフォーマンスに優れるからだ。
その意味において、大和が空母の護衛ができなかったとする論は誤りだし、現に行っているのだ。

7.仮に、改良型MZ65/95型機関を大和に搭載したところで、3軸16万5千馬力では4軸15万馬力に比して1割しか増加しないため、Max30ノットになったという推定はまず成立しない。
これは、当然H39級に比べ大和型が15%も重いことに原因があり、当然ながら巡航19ノットはまず達成できないだろう。ディーゼル機関の重量出力比や必要装甲面積等は蒸気タービンに劣るため、どう考えてもこのような過程は成立し得ない。
そもそも、前述のとおり通商戦をドクトリンレベルで放棄した日本海軍が新型戦艦2隻(当初計画通りでも4隻)だけ独行して通商戦を行わせるような設計をするメリットがどこにもない。通商戦に裂いている間に、アメリカとの決戦が勃発したら目も当てられないからだ。

8.世界の戦艦に関していえば、ディーゼルへの流れなどは存在しない。
ディーゼル戦艦はドイツ海軍の置かれた特殊性が生み出した特殊な事例に過ぎない。このような事例を「流れ」というのならば、アメリカのコロラド級等で採用されたエレクトリックタービンにも言及しなければならないだろう。



P.S.オブイェクトにトラックバック飛ばしてみたらアクセス数が10倍近くになったでござる・・・
こんなことになるなんておじさんびっくりだぁ



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軍事 | 10:48 | comments(0) | trackbacks(0)

中途半端シリーズ1:シャルンホルスト級

 コメ欄での話題を本記事にしてみよう企画。
第一回目はシャルンホルスト級から。
ダンケルク級への対抗として計画されたこの船は、当初予定の28cmから38cmに変更されて建造される予定だった。
が、38cm砲の設計が間に合わない、またダンケルクの装甲が思ったより薄そうだ、ということで再度28cmに戻して設計された。
が、この28cm砲が残念極まりなかった。34年型54.5口径正28cm砲は弾頭重量がAPCで330kg、初速が890m/sである。
これは、ライバルのダンケルク級の主砲、31年式50口径330mm砲の560kg-870m/sに対し単純なエネルギーで比較しても1/1.62という残念具合である。
まあ、口径が2インチ違えばこういうことになるよね。
で、近距離が主体とされる欧州戦艦であることを考慮して、15000〜25000m内外の貫徹力データを見てみると
15100mで舷側-甲板が335-41
18288mで291-48mmしか抜けない。
25000mまで遠ざかると舷側194mmというデータもある。しかも、舷側は姿勢の問題からカタログスペック通りはまず確実に出ない
ダンケルクの装甲がバイタルパートでざっくり225mm-140mmだから、18000mくらいまでは接近しないと抜けない。(遠距離の甲板は、ざっくり計算しても40000mくらいまで抜けない計算だからまあ実用範囲外だね)
じゃあ、肝心の防御はどんなんやねん、となると喫水線の上が350mm、下が170mmっつう穴のある350mm装甲で、甲板が95mmである。
ダンケルクの能力だと23000mで342mm-105mmだから、23000以遠なら甲板が抜けるし、おそらく20000mちょっと内側あたりから舷側が抜ける。
つまり、シャルがダンケルクに対抗できる距離より広い距離帯でシャルはダンケルクに掘られる。
そして、有利なレンジに持ち込むための速力だが、ダンケルクの30ノット(試験時に31.5でてるけど気にしない)に対して33ノットと優速ではある。
が、3ノット差とはどんなにがんばっても一時間に5500mしか距離がつめられない、ということでもある。つまり、一般的な接敵限界の40000mから接近したら4時間打たれっぱなし、25000mでさえ1時間15分打たれっぱなしだ。
どう考えてもダンケルクに対抗するには足りなすぎますね、うむ。
かといって重巡相手にするにはでか過ぎて、予算や数の問題から考えたらもったいない。
ということで、シャルンホルストは中途半端すぎてだめぽ。

軍事 | 00:03 | comments(3) | trackbacks(0)

腹いてえwwww

 中国空母建造 軍事バランス変化を憂慮
もうね(ry
そもそも外洋に出られない水軍の分際で空母保有とか笑っていいすかw

まぁ、日本もある程度の対抗策はあってしかるべきだとは思うけどね。
もっとも、ぶっちゃけ中国にしろ日本にしろ作戦行動海域って近海なんだから陸上航空隊で十分じゃねjk
つか専用艦上運用機もってたっけ?あの国・・・・

軍事 | 07:26 | comments(3) | trackbacks(0)

最終章

さて、戦後は空母の時代、戦艦は無用の長物というのが一般的な見解とされています。
しかし、現実にはそれは性急な議論といえるでしょう。

戦艦という存在を一言で表すなら、「最強の水上艦艇」です。基本的には戦艦以外の水上艦には絶対に負けないと言うことです。
さて、戦後も海の意味は全くと言っていい程変わりませんでした。つまり、通商路と上陸部隊の輸送路という意味です。そして、これらの用途は水上の船舶艦艇が行うもの、ということは今でさえ変わりがありません。確かに、通商路破壊には潜水艦が投入されますが、これらには航空機と水上艦艇からなる対潜掃討部隊の投入で対処可能です。そして、対潜掃討用の艦艇を投入するためには、海上の制海権を取ればいいのです。

さて、海上艦艇では空母の方が戦艦に優越ということは確かに正論です。しかし、空母は莫大な運用コストがかかる上に、戦力としての安定性に欠けると言うことがあります。2、3回の出撃で航空隊は運用不能に陥る可能性が高いという問題は特に致命的ですね。航空機が出せない空母は基本的にはただの的でしかありませんので。また、ちょっとした悪天候でも航空機の運用は絶望的ですし、また艦砲の攻撃範囲にもし入ってしまえば全く対抗手段はありません。
つまり、主役の座は確かに空母にわたりましたが、それをサポートするためには強力なサポートの水上艦艇が必要という意味で水上艦艇の有用性は未だにありました。これは、陸上の航空隊がまだ広い海洋をカバーしきれないという事もひとつの要因といえるでしょう。もし、必要な海域全てに即座に展開し、常時哨戒にあたれるような航空機が生まれれば空母は完全に無意味であり、そうなれば水上艦艇の時代は終わります。ですが、それは21世紀の現在でも成し遂げられない理想です。
さて、そうした水上艦艇部隊という面で言えば最強の水上艦、戦艦は確かに魅力でした。空母や航空機を主役に据えるとはいえ、水上艦で戦わなければならないような事態が発生した場合は戦艦は非常に心強い戦力となる訳です。
ですから、戦後も戦勝国であった英仏両国は建造中の戦艦を最後まで完成させ、その後しばらく作戦に投入されています。アメリカはアイオワ級5番艦を建造中止していますが、一方で六番艦は44年に再開した工事を47年にいったん休止し、翌48年にはまた再開とこの艦の処遇を色々迷っていた節があります。最終的には50年に完全中止が決定するのですが、重要なことは、アメリカが戦後になっても戦艦の建造には意味があると認めていたことです。最終的には2艦とも建造中止となったのは単純に、アイオワ級4隻という充分な保有艦のストックがあり、それ以上の建造はコストに見合わないという判断がされたに過ぎません。開戦直後には新規戦艦の建造を(金がないから他の艦を優先せざるをえなかったという事情があったにせよ)完全に取りやめている日本海軍(こちらもこの時点での保有戦艦で何とかなるという判断だったのでしょう)と比べれば、判断が5年も遅れたと言うことです。以後、アイオワ級の4姉妹は近代化という名の魔改造改装を受け、それこそ大改造の案まで出されつつもつい最近の90年代まで現役の戦艦としてあり続けました。ですが、こうしたアイオワ4姉妹も、一度退役した50年代後半で既に価値を失い、以後はただの陸上砲台と成り下がってしまいました(まあ、40.6センチの大砲を移動出来るという意味では無意味とは言いませんが)。では、戦艦が完全にその意義を失ったのは何故、そしていつのことだったのでしょうか。
それこそが50年代から60年代にかけての海の大きな変化です。まず、原子力潜水艦という革新的な兵器の登場があげられます。アルファ級は実際に空母を海中から叩く戦力として設計されましたし、また核ミサイルを搭載した戦略原潜の登場により、潜水艦隊が大きな意味を持つようになりました。これらの艦は、水上艦にとって旧来の潜水艦程簡単には排除可能ではない潜行深度と速力を持っていました。つまり、軍事的な意味での海は、次第に水上ではなく水中の世界に変わっていったのです。
また、もっと大きな変革が小型軽量かつ長射程な対艦誘導兵器、つまりSSMの登場でした。艦対艦ミサイルは戦艦の主砲より遙かに長い射程距離を持つ上に小型軽量のため、駆逐艦や巡洋艦といった小型・中型の艦艇にも搭載可能だったのです。つまり、これにより、「他の艦艇には負けない」戦艦は「どんな艦艇にも負けうる」戦艦になってしまいました。これにより、遂に戦艦の水上艦艇としての意義が尽きたと言えるでしょう。

さて、日本はよく大艦巨砲主義に浸りすぎていたため、空母機動部隊を中心としたアメリカに負けたと言われています。これは明らかに間違いなのは既に言うまでもないことですね。
日本は開戦直後には新規戦艦の建造を取りやめているのに対してアメリカはアイオワ級を建造しモンタナ級も43年まで建造するつもりで居ました。42年中には七九四号(改大和である信濃型2番艦または大和型4番艦)を建造中止し、信濃を空母へ改造し始めた日本とは対照的です。つまり、日本は空母機動部隊への転換をいち早く終え全力で空母を建造したが、生産力で勝るアメリカは戦艦建造と平行して空母を建造し数で圧倒した、というのが真相です。まあ、こうした誤解は世界最大かつ最強の戦艦を作り出してしまったが為のものなんでしょうがね。
さて、大艦巨砲主義は一体いつ終わったのでしょうか。大艦巨砲主義は、「戦艦は戦艦でしか沈められない」というのが大前提でした。このため、敵の戦艦の砲撃に耐えられる巨艦と敵の装甲を打ち砕く巨砲を持つ戦艦を建造すればいいという発想に至ったのです。魚雷を食らった場合の水雷防御というものは確かにありましたが、これは何等かの不運により敵の魚雷の射程に入り込んだ場合への保険でしかありません。攻撃側にとっても、魚雷は基本的に損傷して逃走する敵艦ぐらいにしか使えない、というくらいのものでした。結局、戦艦を打ち砕くにはとにかく大きな主砲を、ということです。
そして、この大艦巨砲主義は太平洋戦争で終わり、戦艦は主役の座を空母に明け渡しました。ですが、実はこの大艦巨砲主義を終わらせたのはハワイ海戦(真珠湾攻撃)ではありません。真珠湾攻撃は停泊中の戦艦に対する攻撃であり、また停泊中の戦艦を航空機で沈められることはそれより前のタラント軍港空襲で実証されているのです。大艦巨砲主義にとどめを刺したのは行動中の戦艦を航空機によって撃沈した、マレー沖海戦だったのです。まあ、海軍の新たな局面が切り開かれた舞台が(かたや凋落中、かたや貧乏だったにせよ)二大海軍先進国によって演じられたことは歴史の皮肉でしょうが。これ以後は制海権を取るためには空母をまず投入し、その後強力な水上艦隊を、という形で空母と戦艦の立場が入れ替わることとなるのです。
さて、一般にはこういった経緯で大艦巨砲主義の終焉は語られます。ですが、日本海軍では、実はもっと前に、具体的には33年から36年にかけて大艦巨砲主義は終焉を迎えたと言えます。そして、その引き金となったのは航空機ではありません。九三式魚雷、つまり酸素魚雷とその強力なプラットフォームである特型駆逐艦の白露以降型の登場です。射程は戦艦主砲に匹敵(というより、戦艦は最大射程での攻撃はほぼ出来ないため基本的には20000m内外で戦闘するため、実際は戦艦主砲より長射程といえる)する程であり、1発当たっただけでも戦艦でさえ大破傾斜させる程の威力をもち、さらには航跡がほとんど見えないため回避も困難なこの魚雷は、駆逐艦はおろか潜水艦から重巡洋艦に至るまでの魚雷運用可能な艦全てで発射することが出来ました。つまり、この兵器の登場によって、「戦艦以外にでは叩けない」戦艦は「どんな艦艇でも始末出来る」戦艦になってしまったのです。既視感のあるフレーズですよね。つまり、小型艦艇に戦艦が始末出来るようになった時点で、戦艦は最強水上艦艇という看板を下ろすことになります。当然、これは大艦巨砲主義の大前提が崩れたを意味しますから、これで大艦巨砲主義は終わってしまったのです。しかも突然に。他の国では対艦ミサイルの登場まで待たねばならなかった進歩を、実に20年も早く日本は達成していたことになります。ですが、残念なことは日本自身もこの急速な進化に気付いていなかったことです。これ以後も日本は戦艦という艦種を見切ることは出来ませんでした。まあ、貧乏ながらも国力を振り絞って作り上げた、当時としては世界的に見ても最強クラスの戦艦部隊を見切れなかったというのもありますが、大和型2隻の起工後もしばらく戦艦建造への研究を続けてしまいます。ですが一方で、戦艦は既に圧倒的な主役という座を降りていたことも事実です。日本海軍の全ての艦艇は戦艦を撃破可能な能力をもってしまったということで、全ての艦は平等に敵の主力艦を撃破する戦力となりました。確かに戦艦はそれでも圧倒的な存在感や相手に対する牽制としては重視されましたが、戦艦同士での殴り合いによってのみ決着をつけようとする大艦巨砲主義とはすでに一線を画していたと言えるでしょう。

ですが、この酸素魚雷は歴史の波に埋もれていくこととなります。日本の敗戦により技術は完全に失われてしまったのです。結局、その後対艦ミサイルが登場したことにより魚雷自体の意味合いも薄れてしまいます。つまり、対艦ミサイルの方が高速で長射程である、ということです。対艦ミサイルはあまり使いたくない潜水艦では魚雷は未だに主力兵器ですが、これもタービンエンジンとポンプジェットによる高速長射程化と誘導魚雷の登場により酸素魚雷は完全に無意味となり、過去の遺物となったのです。また、こうして強化された魚雷はとてつもなく高価であることも、魚雷の立場を奪う一つの要因でしょう。現在、米軍の主力魚雷Mk48 ADCAPは一本350万ドルですが対艦ミサイルのハープーン(RGM-84D)はたった72万ドルなのです。


ということで長大な記事となったこのシリーズも一応完結。
また何かネタでもあればこういう真面目な軍事系記事を書くことはあるかも知れん。

軍事 | 13:49 | comments(2) | trackbacks(0)

一次は通った

ということで、面接やってきました。
発表は十日後ですね。


さて、昨日は空母の敵が空母と言うことを説明しました。
では、今日は空母対空母の話をしましょう。
まず、前提として30年代前半の空母の構造を簡単におさらいしますと、まず装甲されていない飛行甲板があり、その下には格納庫があります。この格納庫には航空機本体の他、極めて燃えやすく最悪爆発までする航空燃料のガソリンや、爆発物である爆弾や魚雷があります。
つまり、甲板に砲弾や爆弾が当たれば、それは問答無用で甲板を貫通し格納庫で爆発、火災を発生させ最悪こうした可燃物に火をつけ轟沈ということになります(現に太平洋戦争ではこうして沈んだ空母があります)。また、沈まなかったとしてもまず甲板に穴が空いているためこれをふさぐまで航空機の発着は出来ません。また、爆発の爆風によって甲板がゆがみ、穴をふさげなくなることもあります。
甲板に装甲がされていない以上は爆弾の貫徹力はあまり問題にはなりません。つまり、命中率を重視する急降下爆撃の出番になるわけですね。急降下爆撃は命中率の点ではほかの攻撃方法とは比べものになりません。ということで、艦上爆撃機というのは、特に敵空母の制圧の為に生まれた機種と言えるわけですね。
では、空母の方はどういった対策をしたのでしょうか。
もちろん、対空砲や対空機銃の増設という手はありますが、それだけでは被弾の可能性を少し減らすだけでしかありません。ということで、大きく分けて二つの方策がとられました。
一つは、被弾し、甲板が貫徹されても艦を失うことだけは避けようとする策です。これは主にアメリカで取られた開放式格納庫という方法ですね。つまり、格納庫の壁を意図的に一部無くして、爆発の爆風を上手く逃がし甲板の補修を容易にするのに加え、火災となった際には航空機や爆弾、魚雷など燃えそうなもの一切を海に棄てられるようにするのです。こうすれば、もし被弾し火災が起きても、引火→大爆発→轟沈という最悪のシナリオだけは避けられます。ですが、この方法には大きな問題があります。まず、火災が起きたときに片っ端から棄てると言うことは、それ以降空母としての作戦能力を失うため、戦術的には撃沈と大して変わらないと言うことです。また、そうでなくても格納庫の壁が一ぶないと言うことは、荒天時には波が入ったり風が格納庫に吹き込んで荒れたりと被害を受けます。
一方、空母先進国のイギリスはそもそも被弾しても甲板が貫徹されないようにする、装甲空母という解決策を生み出しました。日本は戦中に大鳳としてこの技術に追いつき、雲龍型で実用化しますが、空母後進国のアメリカは戦後までこの方式を実用化出来ませんでした。この方法は、極めて単純に飛行甲板に装甲を施し、急降下爆撃では貫徹出来ないようにするという事ですが、こうすると飛行甲板がとてつもなく重くなると言うことを意味します。つまり、艦の重心が上がると言うことです。これは横波を受けたときに最悪横転することを意味しますので、日英ではこの問題を解決するために甲板の位置を下げようとしました。具体的には今まで2階建て、3階建てであった格納庫を1階分減らしたのです。こうすることにより重心問題は解決しましたが、一方搭載出来る航空機の数は大きく減ってしまうという問題がありました。ですが、一方では被弾しても甲板を貫通しないため、離発着能力も失わないという打たれ強さもあり、此方の方が正解といえるでしょう。現に後進国アメリカも戦後は此方に乗り換え、空母は装甲甲板(限定的ではあるが)+閉鎖格納庫になっています。


ということで、明日は戦後の海軍の姿についてちょっとだけ触れてこのシリーズを終わりにしましょう。

軍事 | 16:54 | comments(1) | trackbacks(0)

一次試験は通ったと信じたい

今日も続きね。


さて、一般に戦艦は航空機に対して無力とかよく言われますね。
果たして、本当にそうでしょうか。
戦艦は、強靱な装甲をもち、また強大な対空火力を持ち、さらには少々の浸水には耐えられる大きな予備浮力を持っています。
こうした大型艦を沈めることは、たとえ航空機でも容易ではありません。もちろん、戦艦にも急所はあり、弾薬庫に爆弾を叩き込めば誘爆・轟沈させることは可能です。しかし、弾薬庫の周りは特に分厚い装甲が張られており、およそ200mm以上にもなります。昨日書いたとおり航空爆撃では精々150mm程度しか貫通出来ませんから、こういった急所をつくことも不可能です。日本海軍では、開戦前、旧式戦艦に対してさえ撃沈には戦闘機抜きで72機以上の艦上攻撃・爆撃機が必要と試算していることから見ても、航空機で戦艦を撃沈することは難しいとわかるでしょう。
では、なぜ航空機に対し無力と思われているのでしょうか。航空機が戦艦を沈めた例としてはマレー沖のプリンスオブウェールズ・レパルスと、坊ノ岬沖の大和が有名です。一般に、これらの例をして戦艦の無力さを示す人が多いようです。
しかし、マレー沖ではそもそも航空攻撃の可能性が信じられていなかった上に航空機にはあまり対応していない旧式艦だったにもかかわらず、日本は85機にも及ぶ航空隊を投入し、対空砲火によって3機を失い30機以上がズタボロにされています。
大和にいたっては、米軍は延べ500機以上の航空機を投入しています。
つまり、こうした莫大な数の航空機を投入しない限り戦艦を航空機で沈めることはできないことを示しています。
また、本来は戦艦上空に攻撃隊を到着させることだけでも一苦労です。本来は敵戦艦にはある程度の防空戦闘機部隊がついているため、これらの戦闘機をどうにかしないことには戦艦への攻撃は出来ないのです。
結局、空母航空隊はこうした敵の航空隊を排除するため、まずは敵の空母を叩く必要があります。そして、敵の空母を叩いた後の航空隊はかなり消耗しているため、敵の主力部隊への攻撃はほぼ不可能です。普通の状況ならば、空母で戦艦を叩く、というのは相手より遙かに多くの航空部隊を投入しない限り不可能といって問題ないでしょう。


ということで、明日は空母対空母の話ですね。

今日の試験?まぁそれなりに出来た・・はずだ。

軍事 | 16:45 | comments(4) | trackbacks(0)

さて、昨日の続きだ

今日は大型艦船、殊に戦艦に対する爆撃のお話を。


一般的にいって、(某駄目戦艦を除けば)戦艦は、重要部分には分厚い装甲(つまり強化された鋼鉄板)が張られていて、甲板下に張られた装甲はおよそ150mm以上になります。
戦艦を爆撃か砲撃で沈める為にはこの装甲をぶち抜いて、その下にある弾薬庫や機関部を破壊しなければなりません。ですが、艦上爆撃機による急降下爆撃では、この装甲も貫徹することはほぼ不可能です。
つまり、艦爆の急降下爆撃では、戦艦は基本的に撃沈不能です。


もう少し具体的に見てみましょう。艦上爆撃機は、戦争初期では250kgまたは500lbs(227kg)程度の爆弾、戦争好機では500kgまたは1000lbs(454kg)の爆弾を急降下爆撃によって投下します。
この急降下爆撃とは、45度以上の急角度で機体を降下させ、高度500m程度で爆弾をリリースする方法ですが、この際速度を出し過ぎると機体が損壊したり、投下後急降下運動からの復帰が間に合わず地面や海面などに激突しかねないため、普通はエアブレーキにより減速します。
減速すると言うことは、投下した爆弾の持つエネルギーは小さくなると言うことで、当然貫徹力も落ちてしまいます。
具体的に数字を挙げれば、投下時の機速はおよそ300kts(556km/h)、そこから投弾後の爆弾が自由落下する加速分を含めると、爆弾の着速は速くてもおよそ240〜50m/sとなります。
一方、水平爆撃の場合は、800kg乃至2000lbs(908kg)爆弾を高度3000mくらいでそのまま投下します。この場合、水平方向の機速が若干と、自由落下によって、およそ300m/sの着速を持ち、各国の実験からこの場合およそ150mm強の厚さの装甲を貫徹出来ることが知られています。
つまり、水平爆撃をもってしてギリギリ抜ける厚さの装甲、ということです。衝突角や命中後の弾道などで単純比較は出来ませんが、衝突時のエネルギーは500kg爆弾による急降下爆撃は、800kg爆弾による水平爆撃に比べ4割5分程度しかありません。これではどう考えても戦艦を撃沈出来ませんね。


一方、映画などを見ればわかると思いますが、戦艦への急降下爆撃は依然行われていました(大和映画で急降下爆撃してくる不細工な米軍艦爆に見覚えのある人も多いでしょう)。なぜ装甲が貫徹出来ないのにこう云うことが行われたのでしょうか。
急降下爆撃は威力に劣る一方で、命中率では非常に優秀です。そして、戦艦が強固な装甲を施されているとはいえ、装甲の外側にあるものは低威力の爆弾でも破壊出来るのです。この装甲の外側にあるものの中でも、特に高角砲や機関砲といった対空兵装は人員が露出していることもあり、爆撃で容易にその能力を失います。
つまり、戦艦への急降下爆撃は対空戦力を削ぐ目的で行われる、ということです。というのも、水平爆撃や雷撃は、直線的な飛行経路を描くために対空火力に対して非常に脆弱で危険です。よって、まず艦上爆撃機による急降下爆撃での対空砲破壊、その後の水平爆撃と雷撃、という手法が確立されつつありました。


あ〜、長い。
まだこれで4割くらいなんだよなぁ。明日もまだ戦艦対航空機の話ですよ、多分。

軍事 | 08:28 | comments(2) | trackbacks(0)

さてさて、今日は超硬派なおはなしだよーっ

試験二日前なんだがな。
ということで、今日はWW2の空母に関して少しだけ知ってる(知識レベル的には、WW2海軍の映画を見た事があるくらいを想定)の初心者に、当時の空母がどういうものだったかという事を概説してみようと思います。



まず、航空母艦の正規搭載機は3〜4種類に(日本以外は3種類)に分類されますが、空母が登場した頃は3種(2種)でした。
一.艦上戦闘機
敵の航空攻撃に対する防空戦力、自軍の攻撃隊の護衛、敵観測機・偵察機の迎撃といった、制空権の奪取を行う戦闘機。
ニ.艦上偵察機
長大な航続力を持ち、敵艦隊の捕捉を行う機種。通例、武装を減らす替わりに敵戦闘機を振り切れる速力を持たせることが理想とされる。日本のみが専用機種として開発したが、良い機体が開発出来ない時期は次に説明する艦上攻撃機で代用。また、アメリカはこうした機種をそもそも必要としていなかった。
三.艦上攻撃機(雷撃機)
航空魚雷による雷撃及び、大型爆弾(特に徹甲爆弾)による水平爆撃を行う機種。一般に言われているように、雷撃専用機種ではない。

そして、急降下爆撃という手法が生み出されて以後、それを専門とする
四.艦上爆撃機 という機種が生み出されます。米軍では、策敵を偵察機ではなくこの艦上爆撃機で行いました。



さて、ここまでが前提となる部分です。ここから先の話は次の記事で書きます。

軍事 | 08:52 | comments(3) | trackbacks(0)

転部試験一週間前

でもこんな事やってる俺は大丈夫なのだろうか

という事で、今日はこの船の話でもしましょう。
Her Majesty Ship Rodney
言わずと知れたビッグセブンの一角で、ネルソン級戦艦の2番艦。
ビッグセブンの他五艦(日本の長門、陸奥、アメリカのコロラド、メリーランド、ウェストバージニア)に対抗する観点から、条約で唯一新規建造が認められた戦艦。
35000トンという制限に適合するため、速力が犠牲にされた戦艦である。装甲は外面の装甲にほぼ全てを投入された。
なお、ネルソン級はイギリスにとって唯一の16インチ砲搭載艦である。
基準排水量34000トン弱、最大23ノットで16インチ3連装砲三基を前方集中配置する。この砲塔配置はC砲塔の射界や爆風の艦橋への影響を考えるとあまり評価はされていない。
ビスマルク追撃作戦に参加した後、各地の上陸作戦の支援に投入され、48年にスクラップとして売却される。

軍事 | 19:44 | comments(2) | trackbacks(0)